2010年8月3日火曜日

真のガラパゴスとは何か

その考えがガラパゴス − 記者の目:ITpro

非常に違和感を感じる記事です。ガラケーの本質とは、日本ローカルな環境なのをいいことに、恐ろしく使いにくかったり、貧乏臭いやり方でしか使えず、要らない機能てんこ盛りでバカ高い端末を、利用者にさも当たり前であるかのように強いてきたこと、でしょう。

Windows Mobile もスマートフォンではなく、Windows 独自の環境のガラケーでした。カスタマイズすればいい、などと言うのではお話になりません。ガラケーという言葉が iPhone とともに出現したことを考えれば、これは明らかです。みんなが、今までのやり方は恐ろしくダメで、ああやればいいと気付かされたのです。iモードメールが読める sp モードを付けるとか、iアプリをオープンにするとか、それでガラケーじゃなくなったというのは、あまりにも…ひどい話です。

Xperia がさっぱり売れてないのも、華々しく CM を流した割に、店頭で試しに使ってみると、やっぱりガラケーと変わらない使い勝手しか持ってなかったからです。社内システムをそれで作っちゃったから、キャリアを変えたくないからというしがらみだけで使い続けられるスマートフォンだってやっぱりガラケーです。

Apple は FLASH を禁止したり、テンプレートアプリを AppStore から締め出したりして、必死にユーザ体験の悪化という「ガラパゴス化」を防いでいます。そこが違うんですよ。iPhone のアプリを Mac でしか作れないという方針も正解です。Windows や Linux を使っていては、やっぱりガラパゴスな UI しか作れないですからね。

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